フライングディスクを投げるのに理屈はいらない。
が、あえてここで理屈をこねくり回してみよう。
なぜなら、投げもせんのに「面白い?」と聞いてくる輩が多いからである。
おそらくまじめな皆さんは、自らの頭の引出しを開けまくって
面白い理由を探して、しっかり説明しておられるだろう。
ここでは、そんなじゃまくさい行為に、
少しでも役立つ理論を展開してゆきたい。


展開1/本能説

まず、このフライングディスクの特徴として「投げる」ということがある。投げる歴史は石から始まった。もともと狩猟時代に獲物を捕獲する技として発展してきたのだ。的に命中させる技を持つものは間違いなくヒーローとして崇められ、尊敬され、女にモテた。

ヒトはそれ以来、あらゆる物を投げてきた。「投げる」と言う技術はすなわち力だったのである。それが、文明の発展とともに槍になり、子犬が狩りの模擬練習としてかむ遊びを覚えるように、ヒトは投げる遊び、「ボール遊び」へと発展してゆく。

力だけの勝負に負けつづけた落ちこぼれどもが一致団結、そして反発して表れたのがボールを使ったゲーム、そして、それにも負ける奴らが団結して皿を投げると言う風に発展したのだ。つまり、負け犬の遠吠えゲーム、それがフライングディスクなのだ。

自分にとって始めて触れるゲームに、ヒトは期待をよせる。つまり、野球が下手でもフライングディスクならヒーローになれるチャンスが、まだあるのではないかと思うのだ。

そう、この理論展開で、フライングディスクにヒトを引っ張るテクニック・ワードは「今ならあなたもチャンピオン」なのだ。


展開2/痒いところに手が届かない説

ヒトは文明を手に入れた時から「便利」という魔術にかかった。便利なくしては生きていけないほどに弱くなったのだ。

すべてを思いの通りに操るのが文明である。最近では、労せずして人の賞賛をも操りたいと言う贅沢者すら多い。デパートでスイッチひとつで人の賞賛が得られる機械が売られれば、間違いなく大ヒットするだろう。(私は、今、その機械を研究開発している…)

え〜っと、なんやったっけ?つまり、便利に麻痺した頭の奴が多いと言うことだ。

そこで、フライングディスクを投げてみる。するとこれが思い通りにいかないのだ。ディスクの頭を下げると飛距離はのびない。頭を上げると上へ飛んでいき、お〜い、どこいくね〜ん!! ということになる。

生まれて初めて知った「自分にとって操れないもの」。
こんな風に飛んでほしい…、そんな
「痒いところに手が届かないハガユサ」が、人間本来の本能に火をつける。「ワシは操るで、そう、テレビのリモコンのようにな!!」と…。

この理論展開で、フライングディスクにヒトを引っ張るテクニック・ワードは、「人生の成功者であるあなたにも、操れないものがあるのだ」だ!!